思う前からそれはある、行動する前からそれはある、先回りをし、脅かすもの、たとえ迷子になろうと、道は用意されていた、この眼で見定める前から。
私は既に知る前から、選択し、獲得し、けれど生まれる前から完成してしまっているのは一体何故だろう。
宿命や運命なんてもの、本当に信じてしまいそうな

墓を暴く

激しい憎悪が飛び交い、世知辛い日々、だとして、世間は大衆は、と言って距離を置いても、誰もがそのなかのひとりであるように、ナイフを突き出せば、自分に向けられ、沈黙を強いれば、雄弁に物事は語りだし、饒舌になるにつれて、自身の透明性は身に付き、じゃあ、他愛のないことだと、何度、何度言い聞かせても、逃れられないのは、克服する術は、一体どうしたらいい、悶々とする明くる日、あなたはきっと醜い憎悪を懐かしく回想し、求める

今日話せても明日話せるかわからないから、適当に人を睨んでる、今日笑えても明日笑える自信がないから、適当に苛々してる、今日あなたを信じても明日信じる保証が何処にもないから、適当に黙ってる、明日は私は誰だろう、薬がない、殺して下さい

路傍の石

感覚や感情を抜きにして、誤魔化しを一切排除して、無味乾燥した文章を書いてみたい。昨日からの思い付きです。推論、演繹法帰納法、昨日メモに残しておいた文を読んで、理解できずに放っておいた事柄が、何故か鮮明に、意味と理由が繋がった。本を読んでいて、あの頃に理解できなかったことが、不思議と理解できるようになったり、また、その逆もあったり、面白いなあとつくづく思う。

詳しくはないけど、演繹法は理論を数珠繋ぎしていき、結論に至る方法、一般原理である大前提を、小前提に繋げていき、最終的に理論を成立させる。もしも一般原理である自明の事柄を誤ると理論は脆く崩れ去る云々。帰納法はあらゆる事象から統計的に結論に至る方法。あくまでも統計なので、すべての情報を網羅しない限りに於いては説得力に欠けてしまう。そして、すべての、なんてのは無理な話しなので、納得させるだけの材料が少ないのは否めない。つまり、演繹法は時間は掛かるが、相手を納得させるだけの材料が揃っているので説得力がある。帰納法は説得力はあまりないが、結論に至るまでの道筋が早い。ちなみに自閉傾向がある人は、思考が帰納法に偏る傾向があるとのこと。だとかなんとか、多分間違ってる、後でもう一度確認します。

こんな感じで、推論について、もう少し考えていきたい、

 

 

やり始めは何だって稚拙で滑稽で恥ずかしくて、己惚れも少量混じっている、苦い良薬。我慢して邁進します。

 

トリックオアトリート!

沈黙が続く、周囲の空間は夥しい程の言葉で満たされている、舞台装置は既に完成され、現存しない懺悔は行われる、風船やシャボン玉、空に浮かぶのは果敢無さの象徴だとして、飄々と覆しかわした先の果ての果てには自殺の二文字が浮かぶ、誰も直接、本当のことを言ってくれないから、架空の暴力で針の筵となる。せんせい、みんながみんなきっと私が死ぬことを望んでいるんです。大きな口を広げて待っているんです。開け放たれた荒野で善の名残が吹きすさぶ。

 

10月25日、晴天、わりと陽気、と思いきや人生は危険の連続で、知らず知らずの内に憂鬱の波が襲ってくる。見えないようにしても見えてくるし、聞こえないようにしても聞こえてくるし、きっと一日中陽気な人は、自分を騙すのが上手いか、頭の螺子を失くしたのかどこか狂っているに違いない、狂った頭で、思う。無理して苦しまなくても、なに、手札は揃っているので、楽でいい、淡い期待を持つのは性に合わないので、見つければ直ちに捨てるべし。どうせこの世はギャグ漫画って誰かが言ってたっけ。一線は越えられない臆病者だけど、もっと、ぼく、悪いことがしたいな。

 

 

 

追伸

なんだかぼくの背には疫病神でも憑いてるのかしらん、

今度占い師に見てもらいます

 

 

 

 

溺れる

図らずしも免罪符を手に入れた私はしかし今日も今日とて馬鹿丁寧に滑稽に泳いでる。もっと上手く素直に泳ごうとしても、脚が、腕が、頭が、鉛を引き摺っているように重く、掻くごとに感じる水の掌の感触は温かく、このままでいいのではないかと、錯覚してしまう。私がこうして知る前には確かにあった、あのテーブルに拡がる残酷な怠惰、懐かしいと同時に、あの頃には戻りたくはない。強く、思う。周りの人達の気遣い、支えて貰っている環境、せっかくの手に入ったチャンス、恐ろしくて、何も言えない。言葉にしようとすれば代わりに涙が存在を示すから、何事もないのに、置いてきぼりにされる。あのこの日記をまた読んで、坂口安吾を読んでることを初めて知った。そのつもりはないのに、まるで彼女の後を追っているようで呆れて、少しだけ笑った。追いかければ追いかけるほど、自身の実力の無さにおののいてしまう、ひとつ知ったと思えば、みっつの知らないことが増える、鼬ごっこを続けてる、それでもやり続けているのは、もう私には修正する程の気力も体力も残されていないように思うから、五体満足なのに、こんなにも弱いのは何故だろう、誰のせいでもないんです、私は私の人生は私だけで最後まで面倒を持って、墓まで持っていく、きっと、いや絶対に私みたいな人は沢山いる、書きたいな、先は長いな、けれどもう25歳、時間はあまり残されてはいない





「書けさえすればそれだけで満足です。私は至って健康そのもの。それに、とても元気で前向きです。」