路傍の石

感覚や感情を抜きにして、誤魔化しを一切排除して、無味乾燥した文章を書いてみたい。昨日からの思い付きです。推論、演繹法帰納法、昨日メモに残しておいた文を読んで、理解できずに放っておいた事柄が、何故か鮮明に、意味と理由が繋がった。本を読んでいて、あの頃に理解できなかったことが、不思議と理解できるようになったり、また、その逆もあったり、面白いなあとつくづく思う。

詳しくはないけど、演繹法は理論を数珠繋ぎしていき、結論に至る方法、一般原理である大前提を、小前提に繋げていき、最終的に理論を成立させる。もしも一般原理である自明の事柄を誤ると理論は脆く崩れ去る云々。帰納法はあらゆる事象から統計的に結論に至る方法。あくまでも統計なので、すべての情報を網羅しない限りに於いては説得力に欠けてしまう。そして、すべての、なんてのは無理な話しなので、納得させるだけの材料が少ないのは否めない。つまり、演繹法は時間は掛かるが、相手を納得させるだけの材料が揃っているので説得力がある。帰納法は説得力はあまりないが、結論に至るまでの道筋が早い。ちなみに自閉傾向がある人は、思考が帰納法に偏る傾向があるとのこと。だとかなんとか、多分間違ってる、後でもう一度確認します。

こんな感じで、推論について、もう少し考えていきたい、

 

 

やり始めは何だって稚拙で滑稽で恥ずかしくて、己惚れも少量混じっている、苦い良薬。我慢して邁進します。