高まりと懺悔


詩を書いてそれをポストに投函して家路に着いた。羞恥心で胸が張り裂けそうだ、詩を書くことはとても恥ずかしいこと。馬鹿にしてるわけではない、でも恥ずかしいと思うのは祖先の偉大なる詩人達に顔向けできないような、淡い期待というには少し傲慢で勝手で、許されるなら、予感という言葉でこの場を飾れば、鈍く残っている、一週間先の未来を詩に託した。これもまた過剰。私の言葉はどうしたって嘲笑的で抽象的で自分で笑いの種を振りまいているようだ。いっそのこと道化師に、嘲笑を全身に浴び、それを快楽に、と考えて、出来そうもない。何十回目かの解答。私の思考も感性もバラバラで危ういバランスの中で時々空気が足りないと嘆き、なんとか息を繋げながら生活を送っている。どれだけ夢を見ようと、生活の上にそれは成り立っているということ忘れたくはない。