幽霊劇


0時04分新しい日の始まり、たった一日であれ、どんな無為な昨日を過ごしたとしても、かならず明日に繋がる。繋がってしまう。混ざり合い、濾過され、変化する、一ヶ月単位で見ればそれは明白。気のせいかもしれない。でも信じてる。信じることは嘘吐きのはじまり。過去の記憶は慎重に取り扱わなければならない。記憶は自分でも知らないうちに捏造される。欺瞞の影は寝ている間に忍び寄る、そう考えると、昨日と今日の境目なんて結局はなくて、精神だけを置き去りに、身体だけを連れてきているような、まあ馬鹿げてる、いや馬鹿げてはいない、でも境目に取り残されるのは、悲しい、嬉しい、どちらでもない、わからない、沢山の理由が攻めてきては、あーだこーだと言ってとりあえず自分を納得させる、曖昧な虚しい作業、どちらにしろ事実や結果はいつか降ってくるのだから、身を任せたい。甘えだろうか、思わない、殉教者の様な気持ちで未来の幸福を掬い取ってやろう、泥水を被ったキリスト、逆さまのイエス、それが、私。(少し気持ち悪い)

三島由紀夫の本を読みたくて、あずま書店に行くけど、品揃いが悪くてがっかりした。
家に三島由紀夫全集のハードカバーが一冊だけあったと思うのに見つからない
時間は止まってくれなくて、無駄だけが積み重なっていく、やはり悲しくて焦る。
いつかそんな無駄を愛せるようになりたい、これは切実で、本当の願い。

遊戯


勇気とか誠実、才能や個々の性質、届かないものにかき乱されては途方に思う。足りないものの多さ、質、考えては眉間に皺を寄せる。しかしまた逆に、全て備わっている、万能感に満たされる。そんな日もある。自身の自惚れや楽観的な態度に苛々してくる。「嘔吐、嘔吐、嘔吐、」いずれにしても閉ざされている。床に横たわり、眠り(これは以前に書いたことがある)目が覚めた時のあの不思議な解放感(そう確か去年のこと)身体の奥に漂い塞がれ鍵を閉めもう、戻ってくることはない、感情の上辺では信じながら(いやしかし頭の中では)そんなことは(ない、)と気づいている。(それなのにどうして騙されるんだろう)感情というものはとても醜いと思う。説明したとしても、説明したからこそあざとさが付き纏う、インチキだとは思わない、整理して、誰かに伝えることは重要なこと。(おまえのその美学、理解されないことがひとつの指針であるなら伝えることは可能だとは思えない)これは遊戯。それをいってしまえば周りは納得するかもしれない。(これは遊戯です)

高まりと懺悔


詩を書いてそれをポストに投函して家路に着いた。羞恥心で胸が張り裂けそうだ、詩を書くことはとても恥ずかしいこと。馬鹿にしてるわけではない、でも恥ずかしいと思うのは祖先の偉大なる詩人達に顔向けできないような、淡い期待というには少し傲慢で勝手で、許されるなら、予感という言葉でこの場を飾れば、鈍く残っている、一週間先の未来を詩に託した。これもまた過剰。私の言葉はどうしたって嘲笑的で抽象的で自分で笑いの種を振りまいているようだ。いっそのこと道化師に、嘲笑を全身に浴び、それを快楽に、と考えて、出来そうもない。何十回目かの解答。私の思考も感性もバラバラで危ういバランスの中で時々空気が足りないと嘆き、なんとか息を繋げながら生活を送っている。どれだけ夢を見ようと、生活の上にそれは成り立っているということ忘れたくはない。

逆行


ただの散歩で終えるつもりがふらふらと立ち寄った古本屋で石川淳森鴎外を買った。眼鏡も掛けず商店街を歩くと人も外灯もぼんやりとおぼろげで街の生々しさが薄消える。車のバックライトは切なさを煽り、道端に転がるゴミには時間の経過を。人とすれ違いながら自分の髪が伸びていることに気づく。擽るような肌寒い夜風に流されながら歩を進め18の頃を思い出す、最初の一歩を刻んだあの日、耳にイヤホンを付け布団に包まりながら泣いていた。携帯を片手に送った拙い言葉の数々、土砂降りの日の震える大樹の揺れ。いつの日も夜にそれらは起こった。完璧に綺麗に思い出すことはしたくはないし、しようとも思わない。ただ思い出し、そうして今日の終わりを受け入れる。
過去を思い出してそこに留まることはゆっくりと精神を腐らせてしまうようなことだとあなたは言うかもしれない。遡って未来を思い出し両手を大きく広げている。けどその先に私の信じる人たちはいないのだと思う。底を抜ければ地獄か、はたまた天国か。そんなこと、どっちだってかまわない。墜落の経過は快楽を呼んで、汚れた身体を奮い立たしてくれる。私はそうやってきた。羞恥心に怯えながら、でもそうやってきた。だからこれからもそうする。許してほしい。ひとりでいることを。私には私の文章読んでほしい人達がいる。その為にもひとりでいなければならない。そして私がもしも助けを求めた時は突き放して欲しい。


心変わりの秋風、身に受けて、地面の上を踏みしめて、立つ、歩く。

よいどれ舟

私の心の所在を探していた。最初の小説を読み始めたきっかけはそのようなものだったかもしれない。見つけると安堵して頭の中で呟いた。宝物のように抱きしめながら。けど、一体、それがなんだというのか。宙に浮いたまま、安堵の快楽を求めて、波に揺られた、舟に乗ることもせず、見送った、私の魂を。貴方は言う。君は一体何処にいる?正直に素直になりなさい。消えることに慣れてしまった私は言う。私自身とは貴方が決めることで、私が決めることではない。すると貴方は笑う。左様ですか。旅にでも出たらどうですか、と。見送った舟は海の真ん中で今でも誰にも見られないまま漂っているのだろう。

浮き世離れ


人間の本質を見ようともせずに、信じたり、裏切ったり、現世は今日も忙しない。私はそれらから、いち抜けた、したくて、でも抜けて、ああ、行く充てもない。死ぬる後夜、煌めく正午、何も知らない私、名もない雑草は、踏みつけられ、強くなる、勇ましくなり、堂々と卑屈になることもなく街を歩き、大切な事を忘れ、朝焼けに涙を流すのだ。忘却の彼方。悠久へと記憶は流れて。ピエロの変に玄人好みの、無意識の偽者は死ぬに限る。死なない限り生きてるだけで周りを掻き回す。掻き回された方は、ふと気付く、もしかしたらアイツはとんでもないヤツかもしれない。騙される。当の本人は知らぬ顔。井戸端会議の横を通りすぎる。すこし冷や汗。なんてことはない、人間はそんな簡単には変わらない。人間は強固な自身の性質によってがんじがらめにされている。次第に、また気付く。裏切られた!当の本人は知らぬ顔も出来ぬまま、流される、薄汚い海のような人の憎悪に流される。同情の果ての、目につく藁。刺の山。救うことも救われることも出来ない。人間の本質とはなんだろう。誰か知っていますか。見えていますか。見えているなら教えて欲しい。私は何者ですか。私にはわからない。